泣くことしか知らない

「私はこんな人間やから、嫌やったら離れていいよ」と言われたのは5年前の今日、そんなことを思い出したのは先日、私がはじめて行ったラブホテル--LOVEを見たからだと思う。
近くにいたのでちょっと見ておこう、と軽い気持ちで行っただけなのに、余計な記憶をたくさん引き出してしまった。ただ、ホームページで見た華やかさはなく、記憶の中のそれと同じように慎ましやかに、ひっそりと佇んでいることを知れたのが嬉しくて、少し涙ぐんだ。

 

 

待ち合わせに何時間か遅れてきたそのひとは、遅れた理由を説明することなく、ただ遅れたことを謝っていた。私も私で問いただすこともなく、ただ悲しい気持ちになっていた。その日なにをしたのか覚えてはいないけれど、お互いにうまく話せなかった、なまぬるくて、気色の悪い、その感覚だけははっきりと残っている。


その日の晩に「今日、男の子と遊んでた。しつこかったし、どうでもよかったから、セックスした。」とメールが届いた。たぶん、ものすごく悲しかったんだと思う。当時の私は、頼りなく、自信もなく、そのくせ独占欲が強く、自分だけを見ててほしいなんてことを平気で言う弱いひとだったから、きっと悲しかったと思う。「私はこんな人間やから、嫌やったら離れていいよ」。でも、悲しみ方を知らなかった。

 

翌日、太陽の塔を見に行くことにした。何も思い入れのない場所に、すぐに忘れられる場所に行きたかった。
御堂筋線に揺られながら私はひどく泣いていた。悲しみ方を知らないから、泣くことしかできなかった。今となれば悲しいときはその悲しみのひとつひとつに対して、どんな顔してるのかななんて問いかけてみたりする余裕があるけど、その頃は泣くことしかできなかった。それで精一杯だった。
私が泣き続けるその横で「ねえ、笑ってよ」となにか楽しい話を続けてくれたこと。「泣きやんで」とは言わなかったこと。昨日のことを謝らなかったこと。また次に会う約束もしたこと。そのひとがその日一度も涙をみせなかったこと。
それらの情景ひとつひとつがしっかりと記憶に残っているのは、万博公園に着いた頃には閉園時間が過ぎていて、遠くからし太陽の塔を見れなかったからだと思う。「ここからだとよく見えるよ」なんて言って明るく努めようとするその姿だとかが、とても、痛かったから。

 

 

それから何年か経った後、供養というわけではないけれど、今度はひとりで太陽の塔を見に行った。そのときはちゃんと近付いて見たけれど、そこにある太陽の塔は、何も思い入れのないただの太陽の塔でしかなくて少し拍子抜けした。

そんな日々を過ごしているうちに、当時のひどく悲しかった気持ちを思い返すこともなくなっていた。例えば太陽の塔の中が公開されるなんてニュースを見聞きしても、そこに映るのはただの太陽の塔でしかなかったし、誰かが太陽の塔の話をしても、太陽の塔好きなんですね、なんて当たり障りのない言葉しか思い浮かばないほどには何も思い出さなかった。

 

 

それが、それらが、ひとつラブホテルを見ただけですべて思い返されてしまったのは、きっと寒さのせいで手がかじかんで、開けるべき引き出しを間違えてしまったんだと思うことにした、泣くことしか知らなかった2月と涙ぐむことを覚えた2月の話。