よく知っている、知らない街

私が初めて行ったラブホテルは谷町九丁目にあるLOVEという名前のところだった。名前は安直な名前だからかしっかりと覚えているのに、外観は全く思い出したことがなかった。以前にも何度かLOVEへ行ったことを思い出したことがあったけれど――例えば病院の待合室で座っている間だとか、写真の印刷を待っている間だとかに存在自体を忘れてしまった引き出しの奥にある記憶を不意に開けてしまう多い――そのときはLOVEがどんな外観をしていたかなんて気にもしていなかった。ただ初めて行ったラブホテルはそんな名前だったなあ、というくらいだった。

 

先日、母親が「上町のあたり歩きたくない?」と言ってきた。上町ってどのへん、と聞くと「生國魂さんとか、そのへん」と。「あのへん全然知らんなあ」なんて返しながら、千日前通りから生國魂神社へ続く道や、その先にある小さな公園、その隣にあったLOVEのことを思い出していた。そういえばLOVEってどんな建物だったっけ。
気になってホームページを見てみたけれど"ここはラブホテルです"といった、どこにでもある他のそれらと似たベタな風貌をしていて、どこか裏切られたような気持ちになった。LOVEはもっと慎ましやかな佇まいをしているものだと思っていたのに。

 

初見のラブホテルで部屋に入って何よりも先に開く窓があるか確認する癖がある。それはLOVEに初めて行ったその日にそうしたからだと思う。その当時の私、異性と無縁の生活を送ってきた私にとってラブホテルは非日常という言葉の表す最たるものだった。そんな空間に初めて足を踏み入れどう振る舞えば良いのかわからなく、そう広くもない部屋の中をうろうろ歩き回ったりあらゆる引き出しや扉なんかを開けてみたりした。
そうして窓を開けた。木の板がはられていたけど、それも建付けが悪く難なく外を見ることができた。不意に入り込んできた夏の日差しと小学生低学年くらいの男の子3人が公園で遊んでいるありふれた光景。窓の中にいるのは実際は私の方なのに、窓の外からその中の光景を見ているような奇妙な感覚に襲われた。
その光景が綺麗だったとか感動したとかそういうことではなく、ただただ奇妙な感覚だったなあと思う。それからというものの、その奇妙な感覚をもう一度味わいたいというわけでもないけれど何となく窓が開くか確認してしまう。大抵の場合は開かない。

 

ストリートビュー千日前通りを難波から谷町九丁目の方面に向かって歩いてみた。「このへん滅多に行かんなあ」と言いながら。国立文楽劇場の向かい側に見知った店をみつけた。「あ、この青空ってラーメン屋、行ったことある」何度目かのLOVEの帰りに寄ったラーメン屋だった。拡大してみると看板には大きな日本地図が描かれていた。何というか、もっと慎ましやかな佇まいで記憶に残ってほしかったな、と思った。